春駒日記




富岡麻紀ひとり芝居「春駒日記」
新宿ゴールデン街劇場
2009年2月22日(日)・3月1日(日)19時〜
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ありがとうございました
『春駒日記』無事に二回の公演を終えることが出来ました。

3月1日の回にも悪天候にも関わらず沢山の方が御来場してくださいました!!
ありがとうございました☆
お席つめて頂いたり、立ち見になってしまった方もいらっしゃったり、皆様ご協力ありがとうございました

とにかく、沢山の方に支えて頂いてこの舞台ができたこと舞台に立てること、ただ、ただ感謝です。

初めての一人芝居、本当に人に恵まれてつくることができました。
こんな素晴らしい経験をありがとうございました!!

これからも、新しい経験を重ねて変化しつづけていきたいと思っております。


本当にありがとうございました!

これからも宜しくお願いいたします☆


富岡麻紀

公演終了しました
富岡麻紀一人芝居「春駒日記」 公演終了しました。

寒い中劇場まで足をお運びくださった皆様、本当にありがとうございました。


3月1日 満席となりました。
「春駒日記」、本日3月1日のチケットは、完売いたしました。
なお、当日券販売の予定もございません。

ご迷惑をおかけいたしますが、何卒よろしくお願いいたします。


はるこま企画 制作
御礼
『春駒日記』無事に初日をおえました!
御来場くださった皆様、本当にありがとうございました!!!

皆様の舞台に向ける視線、終演後の笑顔一人一人の顔が頭から離れません。そんな皆さんに背中を押して頂いてまた前へと進んでいけています。

次回三月一日に向けてしっかり進んでまいります。

ご予約頂いている方、御来場お待ちしております。
生憎、現時点で席が埋まっている様子で、お断わりしてしまった方、申し訳ありません。

これからの富岡もよろしくお願いします。


応援してくださる皆様に心より感謝いたします!

富岡麻紀

ブログをご覧の皆様
ご無沙汰しております。富岡麻紀です。

気がつけば最後に書き込みをしてからは五か月以上、このブログをたちあげてからは一年以上が経っているのですね・・・早い。

ここへきてようやく、色々なことが見えてきたような…。ブログも、もっと気負わず、習慣にできればよかったのかな。


何はともあれ、公演までのこすところあとわずかとなりました。なんとかここまでたどりつけたのも、このブログを定期的に、またとおりすがりにご覧くださった皆様のおかげです。

すでにご予約をくださったかた、ありがとうございました。また、まだご予定の定かでないかた、22日、1日の公演とも若干の余裕がございます。お早めにご連絡いただければ嬉しいです。

それでは稽古もあとわずか。頑張ります。

会場でお会いできるのを楽しみにしています。
<落語の吉原>祇園祭
五代目古今亭志ん生

今年もバレンタインデーでしたね。今回は余談・・・ではないですが、少し珍しい話です。公演がもう迫っているというのに、ますます吉原から離れます。今回の舞台は京都です。

たまたま私が京都出身ということもあるので、京都人の感想から書かせてもらうと、京都人には評判の良くない話なんじゃないでしょうか。そんなことはさておき、祇園の揚屋で祭見物です。最後に出てくるのが何でも欲しがる芸妓です。
ちなみに祇園は公許の遊郭ではありません。京都は島原で、祇園はランク的には下なんです。ただ、遊廓同様の場所もあったし、遊興地という意味では吉原と品川の違いを想像してもらえればと思います。あまり簡単に書き過ぎているので、そうともいえない部分は沢山あるのであしからず。

芸妓は年増の芸者で、舞妓が歳を取ると芸妓になりますね。つまり芸者です。といっても、昔の年増は20代中盤ですから、私自身の私見としては、舞妓は顔で、芸妓は芸で見せるということだと理解しています。

さて、何でも欲しがる芸妓ですが、遊女も欲しがりますね。「下さる物なら夏も小袖」とは圓朝作の乳房榎(ちぶさえのき)の台詞です。小袖は夏に着るものではないんですよ。
つい先日橘屋圓太郎の「文違い」を見ました。なかなかいい出来だったので、ちょっと挟みます。文違いという話には、騙して金を巻き上げる悪い花魁と、惚れさせて金の無心をする客が出てきます。誰しも善かれと思ってやった行為が、ひっくり返ってしまう落語的ダイナミズムの典型です。

で、色々遡ってみると面白い事実に突き当たったりするもので。

寛政9年(1797)、長崎は丸山の遊女「大和路」が、客であったオランダ人から貰った品物の目録が残っています。長崎寄合町諸事書上控から、

「コヲヒ豆但鉄小箱入、一箱、チョクラート、サボン」

実はこれ、日本におけるチョコレートの初めの記録です。おそらくこの時代のチョコレートは、固形のものではなくココアの様な飲み物ですが、花魁はこんな所にも登場するのですよ。

最後にちょっと、「羅紗緬(らしゃめん)」という言葉があります。これは欧米人の妻や妾になった人の事なんです。その昔、西洋人は長い船旅をするから、船に積んだ羊を相手に性交すると、日本人は考えていたのです。そう「羅紗緬」とは羊の毛の事なんです。

<落語の吉原>三枚起請
五代目古今亭志ん生

そもそも上方の噺です。しかし東京の噺家も多くの人が手掛けています。東京ではやはり志ん生が面白く、つい贔屓してしまいます。

志ん生は「新吉原江戸町二丁目、朝日楼内、小輝(こてる)」と語っていますが、初代円右は吉原京二千歳楼の花山としていたそうです。他にも吉原江戸町三丁目の喜瀬川とか江戸町二丁目水都楼の喜瀬川とか色々あります。

さて「起請(きしょう)」です。この起請の歴史は相当に古い。だから掘り下げません。そもそも起請文とは、そこに書かれた内容について、神仏に誓約した文書の事で、神様に誓いを立てるのです。これが男女の愛の証しとしての起請文となりました。この起請文には、熊野牛王(ごおう)宝印の誓紙の裏が使われました。ちなみに表にはカラスがたくさん印刷されていました。起請文を一枚取り交わすたび、熊野権現に仕えるカラスが1羽死ぬと言われました。そしてもし、嘘を書けばカラスが3羽死ぬとも伝えられてきました。

高杉晋作の有名な都々逸があります。
「三千世界の烏(からす)を殺し、主(ぬし)と朝寝がしてみたい」
これを唄ったのも品川の「土蔵相模」という妓楼だったと伝えられています。
今も昔も、カラスは眠りを覚ます奴で、「烏カアで夜が明けて」というフレーズは談志がよく使っています。

「起請など 貰ってむす子 のりが来る」
「のりが来る」とは、乗り気になっているという意味です。こういう川柳があるくらいですから、三枚起請もあり得る話だったのでしょう。

ちなみに女郎が客への愛情を示すためには、起請だけでなく、髪を切ったり、爪を剥いだりして、意中の客に愛の証を送ったのです。もっと怖いものになると、指を送るなんてのもありました。もっとも、爪は他人の伸ばしたものを送り、指は死体の指を買って送っていたのだそうです。本当に指が送られてきたら、恋なんか冷めてしまうんじゃないかってほどびっくりしますよね。正に「指切り」です。
他にも、相手の名前の「彫り物」を入れるという方法がありました。彫り物というと入れ墨の事ですが、「入れ墨」は犯罪者が入れられる墨の事で、自分の意志で入れる場合は「彫り物」と言いました。「火事息子」という噺では彫り物の解説がよく出てきます。彫り物を入れているのが普通のような職業も沢山あった訳で、現在の感覚と随分違いますね。