春駒日記




富岡麻紀ひとり芝居「春駒日記」
新宿ゴールデン街劇場
2009年2月22日(日)・3月1日(日)19時~
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吉原講座3 日本橋の完成、江戸城の大工事
1603年(慶長8)2月、正式に征夷大将軍となって江戸幕府を開いた家康は、翌3月、早速諸大名に命じて、大規模な城下町をつくりはじめます。お江戸の名所日本橋は、この時にはじめて架けられたものです。映画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」は、この日本橋の上に首都高が架けられる前の話だそうですが、1603年以前の夕景には、まだ日本橋さえもありませんでした。その代わり、夕空には朱鷺が群れをなしていたといいます。
ちなみにこの日本橋、なんという川にかかる橋か御存知でしょうか。

1 平川 
2 神田川 
3 日本橋川
4 小名木川

答えは、3(日本橋川)と、1(平川)です。
日本橋だけに二本の川にかかっているというわけではなく、元々は平川という名前だったのが、後に日本橋川へと名称が変更になったのです。なので、家康が江戸のまちづくりをはじめたころは、「平川」と呼ぶのが正しいことになります。

やがて、この日本橋のそばに魚河岸が出来上がり、大きな賑わいをみせることになります。それはもちろん、東京湾からすこしだけ平川を遡ったこの場所が、釣った魚を船で運ぶのにぴったりの立地だったからですが、この日本橋の魚河岸からさらに平川の流れを遡ると、江戸城へとのびる道三堀に入ることができます。この道三堀のそばで遊女屋を経営していたのが、前回とりあえず登場した、庄司甚右衛門さんでした。

甚右衛門さん、運命の時まであと僅かです。大規模なまちづくりが始まって日本橋も出来上がったその翌年、1604年(慶長9)、今度は江戸城の建築計画が発表されました。翌々年、1606年(慶長6)に着工、結局、その後30年の月日を要する大規模な工事になるわけですが、となると、建築資材だけでも相当な量になります。全国から船で運ばれてくる石や材木、それは当然、平川を遡り日本橋をくぐって、道三堀までやってきます。もはや、道三堀の近くに遊女屋などを置いておく余裕はありません。女より資材です。

「庄司甚右衛門よ、日本橋室町へ立ち退け」

と、いわれたがどうかはわかりませんが、江戸初の、遊女屋大移動のお達しがともかくも下ったこの時、甚右衛門さんの頭に、あるアイデアがひらめきました。


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