春駒日記




富岡麻紀ひとり芝居「春駒日記」
新宿ゴールデン街劇場
2009年2月22日(日)・3月1日(日)19時〜
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<落語の吉原>紺屋高尾
五代目三遊亭圓楽

「高尾」を書いたので、次は「紺屋高尾」です。ちなみにこちらは講釈ネタで、圓生が作ったようです。「紺屋高尾」に似た噺に「幾代(いくよ)餅」「搗屋無間(つきやむげん)」があります。

三遊亭など「紺屋高尾」、古今亭「幾代餅」、春風亭「搗屋無間」とある程度演じる人が決まっており、よく似ているので寄席で同時に聞く事はできません。が、そもそも滅多に演じられないし、「搗屋無間」は聞いた事もありません。

さて吉原の近くに生まれ、妓楼を多く檀家に抱えていた寺の息子が圓楽です。ですから、身近ですよ吉原が。圓楽の廓噺は、だからマクラが興味深いのです。

高尾は実在した花魁ですが、高尾は市川團十郎のようなもので、何人もいます。この噺のモデルは6、7、9、11代目の、どれか、だそうです。吉原随一の美貌と才覚を兼ね備えている訳ですから、普通の人が会えるような花魁ではありません。
「高尾」の時に書いた「入山形に二つ星、松の位の太夫職」です。「入山形に二つ星」というのは「吉原細見」という吉原のガイドブックに付けられた記号のことです。最高ランクの時にこの記号が使われたのです。張見世に並ぶこともなく、茶屋から呼ばれて、花魁道中ができる花魁に使われました。

江戸時代まで吉原へ行くというのは『女を買いに行く』よりも『女の所に遊びに行く』という感覚だったのです。花魁を買うというのは、セックスだけではありません。話したり食べたり飲んだり踊ったりも含まれているのです。何しろ、江戸という街は地方から出てきた労働者や侍だらけで、女は5人に1人くらいです。完全な男社会であった故に、吉原の存在が別に不思議でもなく、また、女がもてはやされたのです。様々な諸芸に通じていたり、楽器が弾けたりすると、良い大尽の目に留まるという事もあり得ない事ではありません。そのためには子供の頃から女一通りの事を仕込まなければなりません。吉原は伝統的に格式が高く、保守的でした。禿(かむろ)から芸を仕込まれ、諸芸に秀でている花魁しか呼出し(最上級の花魁)になれませんでした。
それほどの花魁ですから、紺屋の職人が一目惚れして絶望的になっても仕方ないのです。二度と会えるわけ無い存在ですから。3年頑張って働き、貯めた10両を持ち、身分を偽って、吉原に向かいます。高尾は大名道具と言われる程の人です。行っても会えるか分かりません。
ちなみに明治以降のほとんどの妓楼では、女一通りの事などはほとんど必要なくなったようです。

ほとんどの高尾が後には非業の死を遂げますが、紺屋高尾は、子供を3人もうけて、84歳の天命を全うしたという話です。

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