春駒日記




富岡麻紀ひとり芝居「春駒日記」
新宿ゴールデン街劇場
2009年2月22日(日)・3月1日(日)19時〜
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<落語の吉原>おかふい
六代目三遊亭圓生

色んな意味で放送禁止の落語です。近頃は身近ではないですが、梅毒の噺です。圓生がやっていた噺で、一応、三遊亭の噺のようです。寄席でも行けばやるのかもしれませんが、滅多には聞けないでしょう。麹町三丁目の萬屋卯兵衛が主人公です。そして番頭が梅毒に罹るのは新宿の廓です。
初めて聞いた時には、何とおぞましい噺、いや、実際に想像してしまうと恐ろしくて仕方がない噺だと感じました。

吉原では梅毒にかかる事を『鳥屋(とや)につく』と言いました。鷹は秋に羽が生え変わります。この時、鷹は鳥屋に籠るらしく、この様子の事を指しています。なぜなら花魁も、梅毒にかかると髪の毛が抜けるからです。
ですが、このような姿が吉原では良いとされていました。梅毒には潜伏期間があり、三週三月三年に症状が出ると言われます。一次症状が表れてやっと一人前の花魁と認められるのですから悲しい話です。
あまり元気快活な花魁より、病弱なくらいの方が良いとされていた所もありました。梅毒にかかると妊娠しにくくなるし、一人前とされます。その上、食事は肉類を食べずに芋などばかり。これじゃ、治しようがありません。

<本題〜サゲ>
花の魁(はなのさきがけ)と書いて、おいらんと読みます。
おいらんを買って、鼻(花)の先が欠ける(さきがけ)から、花魁と書くなんて、廓噺のマクラではよく使われる話です。鼻の先が欠けるというのは梅毒の症状です。実際になった人を見たことはありませんが、昔は結構な数の人がいたようです。

鼻が欠けた登場人物が3人も登場するこの噺は、オカルト的ですが、当時は決して他人事ではなかったのです。梅毒や淋病は当時、治療薬がなく、いわば不治の病です。男性人口の多い江戸では、住民の5割〜7割が感染していたという話もあります。母子感染もあるので、先天的に病気を持っていた人も多かったでしょう。落語中興の祖として近代落語の基礎を作った初代三遊亭圓朝(明治33年没)や、初代柳家小せん(大正8年没)は梅毒が原因で亡くなっています。こんな具合ですから、実際に罹患していた人はそりゃ大勢いた事でしょう。ペニシリンがあって良かった。

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