春駒日記




富岡麻紀ひとり芝居「春駒日記」
新宿ゴールデン街劇場
2009年2月22日(日)・3月1日(日)19時~
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吉原講座1 江戸に遊女がやってきた
歴史に「もしも」はないといいますが、たとえどんな「もしも」を仮定してみても、売春がなくなることはなかったでしょう。歴史からなくすことが出来ないということは、この先もなくすことは出来ないという事です。たとえどんなに高い支持率をあつめる総理大臣が現れたとしても、無理だと思います(たぶん)。

というような事を偉い人は当然しっていますし、すごく偉い人、徳川家康もしっていました。そんな家康が、もっと偉い人、豊臣秀吉の命令で江戸城(今の皇居のある場所)に赴任してきたのは今から417年前、1590(天正18)年の8月1日です。その頃の江戸城は小さな田舎のお城で、屋根もぼろぼろでした。もちろんお堀もありませんし、ロクな石垣もありません。すぐ目の前まで東京湾の入り江が迫っていて、銀座も海、日比谷も海です。とりあえず山の手線にそってあたりを歩いてみると、池袋村、渋谷村、目黒本村、北品川村、南品川村、神田村、駒込村、巣鴨村などがポツポツとあって、渋谷村の平均年齢も、巣鴨村の平均年齢も、大した違いはありませんでした。そして、そんな村々の村人は、自分たちのすんでいる村が江戸だなんて、思ってもいませんでした。そう「江戸」はまだありません。ただ、江戸城があるなぁ、というだけです。

この江戸城の周りに人があつまりはじめます。家康がそれまでいた駿府ほか、いろいろなところから男たちがやってきました。男たちが集まれば女もやってきます。その頃、自由に移動するような女は、文字通り「自由」な女たちです。慶長のはじめ頃、というのは1596年頃ですが、すでに遊女屋がポツポツと現れ、繁盛し始めたという記録があります。さらに読むと、それを箱根より西へ追い払ったとあります。もっとよむと、追い払ってもスグにまたやってくるとあります。「畜生!」と。これはきっと、偉い人ではなく、自分は偉い、と思いたい人の悩みでしょう。

偉い人、家康は言い放ちます。
「日本国中の諸武士末々の者に至る迄江戸に来て、諸国になき楽みを致さんと勇み寄るこそよけれ」と。
つまり、「それで城下が栄えるならいいじゃないか」という事でしょうか。このトップの一声で遊女屋はとりあえず公認となりました。

さて、こうして江戸城の御城下で遊女屋が堂々と営業をはじめるわけですが、ここから吉原の成立へと至るためには、もう一人、重要な人物の登場が必要です。

次回はそのもう一人をご紹介します。
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